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2013/08/30

Francis Ford Coppola and Sofia Coppola


very splendid...



John Frusciante


今回はジョンの着こなしについて少々。ジョン・フルシアンテはご存知レッド・ホット・チリペッパーズの元ギタリストです。現在はソロ活動に専念しており自分の世界を探求する日々を送っているようです。昔から彼はただ者ではない「隠れファッショニスタ」だということはわかっていたのですが今回改めて彼の着こなしを観察してみますと所々にさりげないこだわりがチラホラ見え隠れしておりおもわずニヤリ。それでは早速彼の着こなしのポイントを分析していきましょう。

まず、全体的にルードでどこか怪しげな雰囲気をかもし出しています。おそらく彼は古着が好きで古着中心のセレクトで全体をまとめている傾向にあるようです。少し首元がよれたバーガンディのVネックセーター、インナーにはチェックのシャツに白い無地Tというセレクト。ここでのポイントはまずセーターのサイズ感。ジャストサイズよりややオーバーサイズを選ぶ事によってグランジっぽさが増します。若干よれているのがミソです。一見だらしなく見える所をカラーバランスとサイズ感でそう見せさせないテクニックは上級者と言えるでしょう。そして衝撃的だったのがさりげなくチノパンツのポケットに突っ込んでいるニットキャップ。これぞファッショニスタの称号にふさわしいセンス。さらによく見てみるとニットキャップのカラーがコーディネイト全体のカラーに合わせてあるという憎さ。実に素晴らしい。最後の極めつけはスニーカー。見て頂ければわかると思いますがこれスケートシューズなんです(DC SHOES)あえてオーセンティックなシューズを選ばないのがかなりポイント高いです。

さて、いかがでしたか?特にお金をかけた着こなしをしているわけではないけれどセンスのみでここまで着こなしてしまう彼はいかに「ただ者ではない」人間かを物語っています。それではまた次回。


John Frusciante
http://johnfrusciante.com/

DC SHOES
http://www.dcshoes-europe.com/

Fender 
http://www.fender.com/en-JP/




2013/08/28

pair of glasses



私が眼鏡の持つ魅力に初めて魅せられたのは小学校の頃にテレビで見た「スタンド・バイ・ミー」でした。ウェリントンの黒ぶち眼鏡をもの凄く自然体で装用していたコリー・フェルドマンを見た瞬間、私の身体に激しい電流が走ったのを今でもよく覚えています。私は目が悪い訳ではなかったのですがそれ以降眼鏡の魅力にガッチリと取り憑かれる事になります(現在でも視力は一向に衰えていないため私の眼鏡は全て装身目的の眼鏡を装用としている)昨今では様々な事情が重なりファッションの一部としてどこに行っても購入出来る時代になりましたがその当時はウェリントンの眼鏡を街で見かける事はほとんどなかったし装着している人もほとんど存在していなかったと記憶しています。だからほしくても小学生の私にはウェリントンの眼鏡を購入する事は出来なかったし視力が良かったために眼鏡を買ってもらえる口実を親に作り聞かせることは不可能でした。


さて、今回はそんな眼鏡の魅力を自分のスタイルに見事に取り込む事に成功している人間をピックアップしてみました。私の好みでチョイスしましたのでかなり偏った内容ではありますが少しでもあなたの眼鏡ライフの参考になってくれれば嬉しく思います。


Jarvis Branson Cocker(ジャーヴィス・ブランソン・コッカー)は以前からミュージシャンとしてはもちろんの事ファッションアイコンとしても興味を抱いていました。彼の特徴的な眼鏡は彼にしか似合わない。実に見事に眼鏡を自分のものにしています。とてもカッコイイですね。息子のアルバート君もお父さんに負けないくらいよく眼鏡が似合っています。なんとも素敵な親子です。


Le Corbusier(ル・コルビュジエ)は建築家界で知らない人間はまずいない。終始モダニズムの論客として、新しいビジョンを示す論陣を張ってきた彼ならではの風貌はさすがの一言に尽きます。そして彼のアイコンは間違いなく眼鏡でした。画家としての一面も持つ彼は生粋の芸術家とも言えるかもしれません。


George Andrew Romero(ジョージ・アンドリュー・ロメロ)はゾンビ映画の神様である。いわば第一人者でありホラー映画界の巨匠なのです。代表作の「ゾンビ」はあまりにも有名ですよね。そんな彼の眼鏡をはじめて見たときは衝撃的でした。フレームがなんともデカイ。おそらくは特注フレームだと思いますが彼の眼鏡についての情報は全くなく、その正体は謎のベールに包まれています。


Jean-Luc Godard(ジャン=リュック・ゴダール)フランスを代表するヌーベルバーグの旗手。ゴダールの作品を一言でまとめるのは不可能。ただ1つだけはっきりと言えるのは彼はお洒落だということ。眼鏡のチョイスも様々なスタイルの眼鏡を楽しんでいる。


Woody Allen(ウディ・アレン)アメリカを代表する映画監督の1人。まさにエネルギーの塊の様な人間である。そんな彼の愛用する眼鏡はティアドロップだったりウェリントンだったり。特にウェリントンは彼のシンボルにもなっていてもはや身体の一部と化しています。


RZA(レザ/ロバート・ディグス)ウータン・クランのボス。頭が非常によく切れるインテリジェンス溢れる頼れるリーダー。眼鏡をかけている姿はより知的さが際立ちますね。カッコいいです。


William John Paul Gallagher(ウィリアム・ジョン・ポール・ギャラガー)元オアシスのヴォーカルです。使用しているのはおそらくレイバンの廃盤モデルではないでしょうか。最高に似合ってますね。リアムって髭も似合うんですね。この頃のリアムには随分影響されましたね。


William John Evans(ウィリアム・ジョン・エヴァンス)は伝説のジャズピアニストと言えるでしょう。とにかく、なんでしょうね。この感覚。お洒落すぎる。ジャズ黄金期と呼ばれた時代では煙草をくわえながらピアノの鍵盤を叩いていた。今では考えられないでしょうが私はこの時代に憧れます。スーツにオールバックそしてウェリントンの眼鏡。そして煙草を吸いながらJAZZをする。この風貌にこの演奏能力。あり得ませんね笑。最高です。


Thelonious Sphere Monk(セロニアス・スフィア・モンク)彼もまた伝説のジャズピアニストの一人です。ウィリアム・ジョン・エヴァンスとは対極に位置する存在と言ってもいいかもしれません。その存在その演奏は人知を超えた次元にいました。紛れも無い天才。それがセロニアス・モンクだったのです。その凄まじさは映画「ストレート・ノー・チェイサー」で目撃する事ができます。そんな彼の眼鏡も実にユニーク。とてもよく似合ってますね。大好きです。


Andy Warhol(アンディ・ウォーホル)もまた眼鏡の愛用者でした。彼の使用していたクリアフレームのウェリントンはとってもキュート。白髪との相性も抜群ですよね。


John Winston Ono Lennon(ジョン・ウィンストン・オノ・レノン)といえばロイド型の眼鏡ですよね。眼鏡にはかなりのこだわりを持っていたジョン。ジョンの眼鏡だけでも様々な伝説的なお話がたくさんあるみたい。


John Christopher "Johnny" Depp II(ジョン・クリストファー・ジョニー・デップ2世)はい、出ました。ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。いよいよ終盤ですよ。もう文句のつけどころがないです。カッコいいです。ウェリントンの神と名付けましょう。


Kurt Donald Cobain(カート・ドナルド・コバーン)です。最後は彼で締めくくらせて頂きます。ここまで読むの大変だろ〜な〜と思いながら今記事を仕上げにかかろうとしています。彼は基本的にウェリントンはかけないのですが一時期だけ奇跡的に使用している期間がありましてその時のカッコよさは正に神。僕の中では最もウェリントンが似合う男がカートだと思っています。


今回まさかここまで長い記事なるとは思ってもいませんでしたがいかがでしたか?眼鏡っていうのはなんとも魅力的なアイテムですね。ではまた次回まで。



2013/08/23

Ol' Dirty Bastard



ワンテンポ遅れている。ゼロコンマ単位で常にワンテンポ遅れている。その僅かなズレの連続性と間が融合する時、我々を特殊な快楽へと誘う。それがOl' Dirty Bastardたる所以である。私は後にも先にも彼の様な才能を持ち合わせたラッパーを見た事が無い。唯一無二とは正しくOl' Dirty Bastardの様な人間のためにある言葉である。

Ol' Dirty Bastard(以下ODB)は天才だった。存在そのものがインプロビセーションでありJAZZだった。個性溢れるWu-Tang Clan(ウータン・クラン)のメンバーの中でもその存在は突出していた。破天荒なその生き様はパンクでありキッズ達のハートをODBはしっかりと掴んでいた。近代音楽史において90年代は「空白の時代」だ等という言葉をよく聞くが彼を見ていると何を差し置いての空白だったのか問いたい。今、注目しているのは90年代まではっきり存在していた音楽と狂気が持つ異常な関係性と美意識が今の時代にはみじんも感じられないとう事、私が年を重ねてしまったからなのか今の音楽シーンに疎いからかはわからない。しかしここ最近の音楽シーンにはODBやカートコバーンが持っていた様な狂気を感じる事はなくなった様に感じる。才能はあれど保守的なミュージシャンが多く蔓延し、そつなく音楽をこなしている印象がある(音が凶暴なだけが狂気ではない)時代性と言ってしまえばそれまでだがODBのような天才は確実に今はいない。不安定な美しさが見ているこちら側までもハラハラドキドキするようなギリギリな次元のミュージシャンはもう永遠に出てこないのではないかとさえ思える。それくらい今の音楽界は落ち着いている(うまく整理されキチンと奇麗にまとまった塊の様だ)

ここに来て90年代が気になる最大の理由は「オリジナル」と呼べる「本物」が世界に出尽くした最後の10年だったという事実にある。彼等の特殊な才能をリアルタイムで追える事が出来たのはラッキーだったと今も思う。いかに音楽が優れたエンターテイメントであるかを彼等は身を持って教えてくれたし、体感できたからこそ今は確実に存在する。

とにかく後にも先にもここまでイカレタ(最上級の褒め言葉)ラッパーはなかなか出てこないだろう。90年代は空白の時代なのではなく確実に「波が荒れ狂った最後の不器用な時代」だったのではないだろうかと思う。マンネリと保守的な雰囲気に覆われた今の音楽シーンで新しい希望を見つけ出す事は難しい。Wu-Tang Clan(ウータン・クラン)やニルヴァーナの様な存在が世界に登場してきた時の強烈な衝撃を味わえる事は今後訪れないのかもしれない。





2013/08/15

De La Soul


De La Soulとはじめて出会ったのは確か中学校1年生の夏くらいだったと思う。その当時テレビで毎週深夜に放送していた音楽番組「ソニーミュージックTV」でこの「Break Dawn」のビデオクリップを初めて見た時に彼等の存在を知ることになる。その当時は西海岸のギャングスタラップが盛り上がっていて東海岸のヒップホップは少し押されている様な状況だった。しかも西海岸のいかにもワルそうな(実際にワルい)マッチョなイメージが非常に強かったせいで彼等のユルイ雰囲気でのらりくらりとマイペースにラップする姿を見てアァこんなスタイルもあるのか・・と衝撃を受けたのを今でもよく覚えている(Break Dawnは今なお素晴らしい曲でいまだに聴いている)後々に彼等は「ネイティブタンポッセ」という組織で活躍していたり「コンシャス・ヒップホップ」というカテゴリーの創始者だったりという事実を知っていくわけなのです。「コンシャス・ヒップホップ」とは「人の根源にある重要な事項」であったり遊び、仕事、政治、ファッション、食に及ぶ様々なテーマを取り込んだ今までに無い知性あふれるスタイルである。そしてその新しいスタイルの象徴がまさしくネイティブタン(デ・ラ・ソウル/ジャングル・ブラザーズ/ア・トライブ・コールド・クエスト/ブラック・シープ/リーダー・オブ・ザ・ニュースクール)だったのです。彼等のスタイルは正にクラシックでありそのメッセージ、ファッション性は今だ全く色あせてはいません。むしろ90年代に彼等の打ち出したスタイルは今、正に「最もフレッシュなスタイル」として再び注目されはじめ、見直されつつあるのです。
   

De La Soulはポス、トゥルゴイ、メイスの3人で構成されたグループで88年前後からNYのブルックリン近辺で活動を始める。自らを「Daisy Age」と標榜し「ニュースクール」の一角としてシーンに登場する。やがて交流のあったジャングル・ブラザーズやア・トライブ・コールド・クエスト等とネイティブタンという組織で活動し上記で述べた様な活動が話題になっていく。しかし、やがてメディアによる彼等のイメージが過剰に偏った状態に嫌気がさしDe La SoulはそれまでのPOPでファニーなイメージを払拭するためにセカンドアルバムではディープでより洗練されたスタイル/イメージを探求する。そんな彼等の新たな試みはヒップホップファンに広く支持され彼等はシーンにおいての「絶対的ポジション」を手に入れる事に成功する。そこからは常に音楽性の高い作品を発表しつづけ最強のヒップホップグループの1つへと成り上がって行くのだ。

そんな最中、映画「Judgement Night」のサウンドトラックでDe La SoulとTeenage Fanclubという異色のタッグによる「Fallin'」がドロップされる。この曲を初めて聴いた時、天地がひっくり返るほどの衝撃を受けたのを今でもよく覚えています。正にそれまでの常識を覆される様な衝撃だったのです。



「Judgement Night」のサウンドトラックといえばいわゆるメタル/オルタナティブとヒップホップの融合をテーマとしたコンセプチュアルアルバムでまだミクスチャーロックという言葉が世に出る前にリリースされた(90年代後半に全世界を圧巻した例のシーンの前兆と言える)いわば知る人ぞ知る作品だった訳ですがその中でも特に異色だったのがFallin' - Teenage Fanclub/ De La Soulだったのです(今思うと奇跡だ)そんな気になるアルバムのラインナップは以下の通り・・・

1. Just Another Victim - Helmet/House Of Pain
2. Fallin' - Teenage Fanclub/ De La Soul
3. Me, Myself & My Microphone - Living Colour,/Run D.M.C.
4. Judgment Night - Biohazard/Onyx
5. Disorder - Slayer/Ice-T
6. Another Body Murdered - Faith No More/Boo-Yaa T.R.I.B.E.
7. I Love You Mary Jane - Sonic Youth/Cypress Hill
8. Freak Momma - Mudhoney/Sir Mix-A-Lot
9. Missing Link - Dinoasur Jr./Del The Funky Homosapien
10. Come And Die - Therapy?/Fatal
11. Real Thing - Pearl Jam/Cypress Hill

どうですか?この組み合わせ。この面子。今ざっと見ても狂ってますね笑。話が少しそれましたがこの曲で彼等が更に次のレベルへと昇華して行ったのをよく覚えています。あまりにも感動してしまって取り憑かれた様にこの曲ばかり聴いていました。そのクオリティは今聴いても全く鮮度は落ちていません。これが正に奇跡のクラシックと言えるでしょう。



さて、そんな近年の彼等はというとポスとトゥルゴイが別名義で「De La Soul Plug 1 & Plug 2」という活動を始めたり(フランス人DJの 2&4(チョコレート&カリッド)と手を組んだ)なかなかご機嫌な感じで活動をされている様です。熟しに熟した彼等の活動は今後も僕らを楽しませてくれるに違いありません。これからもDe La Soulの1ファンとして彼等の活動に注目していきたいと思います。

※なんと偶然にも今年の11月に彼等の来日が決まった様ですね・・これは行かねば!


De La Soul
http://www.wearedelasoul.com/

De La Soul Twitter
https://twitter.com/WeAreDeLaSoul




2013/08/13

Le Breakfast Club



朝、目覚めたばかりのスッカラカンの胃袋に温かいスープと焼きたてのトースト、トーストが切れている時はパンケーキを焼いてメープルシロップかキャラメルソース、蜂蜜、ホイップクリーム等をお好みで使いわけながらゆっくりと胃を満たしてゆく。淹れたてのコーヒーをあわせて全身に血がみなぎるのを感じてみるのもまた素敵です。1人で食べる朝食もいいけれど机を囲んで家族や友人と朝食を食べるのも良いものです。朝食を食べながら情報交換したり、一週間分のメニューを考えたりするのもきっと楽しいはず。季節ものフルーツをトッピングしてすこし贅沢な気分で一日のスタートが切れるかもしれない。どちらにしても自分のペースでキッチリ朝食を食べる事が出来ればきっと一日の「価値」も少しだけ変わってくるはず。一日のはじまりは食とともにあるのです。



さて、長い前置きになってしまったけれど今回ご紹介するのは食の在り方に独自のアイデンティティを持ち込み様々なイベントを打ち出している「GARÇON GARÇONNE」です。彼等は最先端の食文化に高いデザイン性を取り入れデザインと食の融合に成功しているとても興味深いグループの1つです。小さなコミュニティですがこのイベントに集まってくる人たちは本当にいいアンテナの持ち主だし何よりも良い表情をしています。エンジョイしているのです。今、様々なエリアで食とデザインの在り方が見直されてきています。これらは決して今に始まったわけでは無いのですが最近の流れを見ているとより明確化された時代に突入したと言ってもいいかと思います。食とデザインを通じて人とのコミュニケーションをはかる事で新たなシチュエーションを生み出しそれを楽しむ事。この文化は今後さらに深みを増し続けるだろうし、進化し続けると思います。今後ますます目が離せない注目すべき新しい文化の1つではないでしょうか。

どれだけ忙しくてもどれだけ疲れていてもキチンを朝食を摂る。毎日訪れる新しい朝がすこしだけきっと変わる。続けていくうちにやがて人生そのものが今より少しだけ豊かになるかもしれない。と 思うのです。


GARÇON GARÇONNE
http://garcongarconne.com/le-breakfast-club/




2013/08/10

Megan McIsaac


彼女の写真をはじめて見た時の衝撃を言葉で表現するのは難しい。しかし彼女の写真に宿る「何か」がパラパラと流しながら鑑賞するタイプの写真ではないという事を物語っている。

カメラはいわば誰しもが使えるものであり奇麗な風景が撮りたければ奇麗な景色のある場所に足を運べばいいし人を撮りたければ街へ繰り出せばいい、また芸術的な表現がしたいのならそれなりの技術を習得して挑めばいい。そんな確信的手法を用いたそれらの写真(発想の安易さが垣間みれる/マニュアル化した手法を用いる)に私はあまり興味を感じれないでいました。しかし写真とは本来使い手側の確信的な意思の下に成り立つものである表現媒体でその事実は決して曲げる事は出来ません。それが故写真という世界で出会った感動はひとしおなのです。またそのような突出した才能を言葉で表現するのはとても難しい事なのです。未知数であるが故に多少抽象的な表現を用いなければならないケースもありますがなぜ私が彼女の写真を見た時それほどまでに強い衝撃を受けたのか、それは彼女を取り巻く世界があまりにも必然的に美しかったからなのです。彼女にしか成し得ない言葉では説明出来ない「何か」をみる事が出来たのです。カメラを手にした彼女に対し世界は彼女を選んだという事なのです。彼女は「選ばれた」と言う事です。それは意図して成し得る事ではなく、誰しもが経験できる事でもありません。「選ばれた」人間のみが可能な次元で彼女は写真を撮影し存在しているのです。私は彼女の写真を見た時に今までに感じた事の無いドラマ性と対峙する事に成功しました。それはライアン・マッギンレーの写真をはじめて見た時の衝撃に近い感覚でした。


今回ここでご紹介させていただいた作品はごくほんの一部にしかすぎません。彼女の世界をもう少し深く知りたいという方は下記のリンク先へ旅立ってみてください。様々な興味深い作品をたくさん見る事が出来ます。いつの日かここ日本でも彼女の作品展示会が実現する日を心待ちにしています。



Megan McIsaac
http://meganmcisaac.com/





2013/08/09

IS TROPICAL



IS TOROPICALの新譜が素晴らしいですね。曲はより洗練され前作よりはるかに成長した印象を受けます。そして彼等が本来持っていた潜在能力「野性的変態性」がよりエッジーに進化/表現されており今回のシングルは強烈なインパクトを私達に与えてくれます。こういう形でバンドの成長を見せつけられるのはとても気持ちがいいものですね。彼等のスタイルは好き嫌いがハッキリと分かれるタイプだと思いますが「Kitsune」からリリースされている多くのバンドの中で最もお気に入りのバンドがIS TOROPICALだったりします。その調和のとれた変態性、真面目に変態なところに惹かれるのです。



そんな彼等のストロングポイントである「野性的変態性」に更なる磨きがかけられ独自の路線を探求し続けた1つの「回答/通過点」が今回の新曲だったのではないでしょうか。この時点でこの領域に足を踏み入れる事に成功した彼等の功績は讃えられるべきなのかもしれません。オリジナリティに溢れた手法で曲を構築する彼等は真の意味で「アーティスト」と呼べるのかもしれません。


90年代に絶頂期にあったグランジミュージシャンを彷彿とさせる外見もお気に入りの理由の1つです。「ラフで小汚い雰囲気なんだけれど美しい」みたいな、そんな矛盾したバランスが彼等の魅力の1つでもあります。照れ屋さんで腹黒そうな絶妙な雰囲気が滲み出ていますよね。たまらないです。


彼等の世代は本当に多くのバンドが世界中から同時多発的に誕生したのですがその多くはほとんど名前すら聞かなくなってしまったり解散して消滅してしまったりと一過性な印象も否めない感じはあるのですが彼等には是非この先も独自の道を極め素晴らしい作品を作り続けてほしいものです。


IS TROPICAL
http://istropical.com/

kitsune
http://www.kitsune.fr/journal/



2013/08/04

Kris Knight

2013 Ivory Oil on Canvas 40x30" Private Collection 
When She Went White, She Went White 2012 Oil on prepared cotton paper 8x10"
Faberge 2013 Oil on Canvas 48x36" Private Collection


カナダを拠点に活躍する画家クリス・ナイト。彼の描く絵にはある種のポストモダニズム的な解釈を得る事が出来る。おそらく多様な思考の元に作品は構築されどこか力の抜けたザックリとした構図、そして繊細さの中に垣間見えるデティールとが融合、更にはまるで感情を全て削ぎ落とされたかの様な表情のない登場人物達が非常に特徴的です。文脈を回帰したかの様なある種挑発的な作風はシンプルさ以上に力強さを感じます。これからどうような進化を遂げて行くのか、今、気になる作家の1人です。



Kris Knight
http://krisknight.com/home.html




2013/08/03

The Mattson 2



「音楽とはその時代その時代に適応した新しいスタイルの象徴である」といっても過言ではないほどエキサイティングな存在が「音楽」である。現時点において様々な文化的要素を含み多種多様なスタイルはさらなる広がりを続け「ジャンル」という壁を越えた最も自由な表現の1つが音楽だと言えるだろう。今回紹介する彼等もまたそんな時代性を反映するかのごとく登場したユニット「The MATTOSON 2」です。聴いてもらえばわかるように彼等の音楽を一言で表現するのは難しい。それは我々が今まで体感した事のない新しい領域に彼等はチャレンジしているからだ。もはやジャンルではない「新しい何か」なのだ。彼等のバックボーンを紐解けばおそらく様々なジャンルの音楽がボロボロと出てくるに違いない。バイオを見ているだけでも胸が躍るミュージシャン達の名前がズラリと並ぶ。過去の偉大なる音楽に向き合いながら現代的な手法を用いてセンスで畳み掛けた様なサウンドスケープ。言葉で音楽を表現するのは極めて至難の業だがあえて言うなら「RECENT WEST JAZZ」とでも言っておこう。



そして音の次に重要なファッション的感覚にも長けているのが印象的だ。双子ユニットというだけでもインパクト十分なのだけれど終止スーツを着用。良き時代の「JAZZマナー」を垣間みれるセンスは最高だ。また、その背景にはトーマス・キャンベルやART関係とも繋がりが深いサーフショップ「Mollusk Surf Shop」との関わりも関係しているのだろう。そういった音楽以外のカルチャーを消化しているあたりも興味深くまたその感覚が見事に彼等の表現する音楽に反映されているのだ。


「文化的背景を背負って音楽をする人間と音楽のみを奏でる人間の音は異なる」彼等の音楽を聴いているとそんな思いが過る。二人の奏でる音はひたすら深く、聴けば聴くほど新しい仕掛けと発見があり今の時代の一歩も二歩も先をいった世界と言えるだろう。


The Mattson 2
http://www.mattson2.com/