彼女の写真をはじめて見た時の衝撃を言葉で表現するのは難しい。しかし彼女の写真に宿る「何か」がパラパラと流しながら鑑賞するタイプの写真ではないという事を物語っている。
カメラはいわば誰しもが使えるものであり奇麗な風景が撮りたければ奇麗な景色のある場所に足を運べばいいし人を撮りたければ街へ繰り出せばいい、また芸術的な表現がしたいのならそれなりの技術を習得して挑めばいい。そんな確信的手法を用いたそれらの写真(発想の安易さが垣間みれる/マニュアル化した手法を用いる)に私はあまり興味を感じれないでいました。しかし写真とは本来使い手側の確信的な意思の下に成り立つものである表現媒体でその事実は決して曲げる事は出来ません。それが故写真という世界で出会った感動はひとしおなのです。またそのような突出した才能を言葉で表現するのはとても難しい事なのです。未知数であるが故に多少抽象的な表現を用いなければならないケースもありますがなぜ私が彼女の写真を見た時それほどまでに強い衝撃を受けたのか、それは彼女を取り巻く世界があまりにも必然的に美しかったからなのです。彼女にしか成し得ない言葉では説明出来ない「何か」をみる事が出来たのです。カメラを手にした彼女に対し世界は彼女を選んだという事なのです。彼女は「選ばれた」と言う事です。それは意図して成し得る事ではなく、誰しもが経験できる事でもありません。「選ばれた」人間のみが可能な次元で彼女は写真を撮影し存在しているのです。私は彼女の写真を見た時に今までに感じた事の無いドラマ性と対峙する事に成功しました。それはライアン・マッギンレーの写真をはじめて見た時の衝撃に近い感覚でした。
今回ここでご紹介させていただいた作品はごくほんの一部にしかすぎません。彼女の世界をもう少し深く知りたいという方は下記のリンク先へ旅立ってみてください。様々な興味深い作品をたくさん見る事が出来ます。いつの日かここ日本でも彼女の作品展示会が実現する日を心待ちにしています。
Megan McIsaac
http://meganmcisaac.com/
0 件のコメント:
コメントを投稿